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涼しさや鐘を離るる鐘の声 与謝蕪村
安永六年(1777)の吟。鐘を中心に鐘の音のひろがりとともに現実とは別の空間が広がっていくような錯覚を覚える句である。人々が鐘の音に心を癒すのは、そのような非日常的な空間に安寧を感じるからに他ならない。この非日常の空間は多くの場合、宗教に結びつくが、無宗教の人も同じように心の安寧を感じることを考えると、この非日常的な空間とは何なのだろうか。
六月や峯に雲置く嵐山 松尾芭蕉
元禄七年、六月の吟。雲の峰と山の配合の句であるが、季題の六月により、この雲の峰が夕立ちを起こす黒い雲であることを思わせる。嵐山という固有名詞が、夕立ち雲との関わりから必然性を帯び、嵐の前の静けさを感じさせる。芭蕉はこのような夕立ち前の山の風景を借りて、悲愴という抽象的なものを詠んだのではないだろうか。
日の暮や人の顔より秋の風 小林一茶
享和三年(1803)の吟。この句は、一茶が俳諧の方向に進む前の時期の吟で、蕉風を思わせる趣きがある。句は、群衆の中の孤独感を謳ったもので、現代にも通じるものを捉えている。
死ねば野分生きてゐしかば争へり 加藤楸邨
野分は秋に吹く強い風のことである。雨を伴うこともあるが、台風と違って風が主体である。本意は、野分そのものよりも、野分が去った後の荒れた景色のすさびにある。この句は、人間の業の寂しさを謳っている。中国の詩に、「生は暗く死もまた暗い」という一節がある。この句は、表現こそ異なるが、同じ内容を詠んでいる点が興味深い。
生きのびてまた夏草の目にしみる 徳田秋声
昭和十一年夏の病後の吟である。病気をすると人はやさしくなる。いままで当たり前だと思ったことが、実は当たり前ではないことに気づき、そのありがたみに感謝する。この句は、雑草の生の逞しさを見て、命の尊さを詠んでいる。「目にしみる」が病後の人でないと言えない措辞であろう。
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